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新潟地方裁判所 昭和62年(行ウ)5号 判決 1991年3月29日

原告

佐藤カツ子

原告

佐藤稔

原告

長谷部ヨシ子

右三名訴訟代理人弁護士

中村洋二郎

金子修

被告

新発田労働基準監督署長石井吉男

右指定代理人

武井豊

青木正存

有賀東洋男

久川要造

西村富栄

江村聖治

長嶋英晴

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実及び理由

第一請求の趣旨

被告が訴外佐藤成治(以下、成治という)に対し昭和六〇年一〇月二一日付けでなした労働者災害補償保険法による療養補償給付及び休業補償給付をしない旨の処分(以下、本件処分という)を取り消す。

第二事実の概要

一  争いのない事実

1  成治は、昭和四四年頃から昭和五三年頃まで、新潟県岩船郡朝日村柳生戸部落の共有林伐採作業に従事し、玉切り(チェーンソーで伐木を運搬しやすいような長さに切断する作業)などを担当していた。

2  成治は、昭和六〇年五月八日、下越病院野中勇夫医師により振動障害(症度Ⅲ)と診断された。

3  成治は、昭和六〇年六月一一日、被告に対し、労働者災害補償保険法(以下、労災保険法という)による療養補償給付及び休業補償給付の請求をした。

被告は、同年一〇月二一日、共有林の伐採事業は訴外清野工業株式会社(以下、清野工業という)と直接関係なく、柳生戸部落の住民独自の仕事であり、成治が清野工業の社員とは断定できず、労働者性が認められないとの理由により本件処分をなした。

4  成治は昭和六二年三月六日に死亡し、原告佐藤カツ子(成治の妻)、同佐藤稔、同長谷部ヨシ子(いずれも成治の子)が相続した。

二  争点

成治は、振動病罹患の当時清野工業に雇用された労働者といえるか否か。

1  原告の主張

(一) 労災保険法に基づく各種給付は、労働者の業務災害及び通勤災害に対してなされ、ここでいう労働者とは労働基準法(以下、労基法という)九条が規定する労働者と同一と解されている。

しかし、労災保険法の労働者性の判断は、労基法における判断基準を前提としながらも、被災労働者の生活保障という側面から、より弾力的かつ現実適合的にとらえ、その要件も個別事案にそくして柔軟に考えるべきである。

すなわち、労災保険法は労基法の規定する使用者の労災補償責任を保険化したものであるが、今日では、労基法が規定する使用者の補償責任を実質的に越える給付を定め(傷害年金制度と打切補償の実質的廃止、労働福祉事業による付加的給付、通勤災害保障制度等)、あるいは労基法の予定する労災保障制度を越える制度(中小事業主等労使関係にない者への労災保険の適用―特別加入制度)を定めている。また、近年の雇用形態の多様化は、工場労働(特に本工労働者)を中核においた労基法ではカバーしきれない雇用形態を生んでおり、労災保険法の独自の領域が存在している。したがって、労災保険法は、労基法上の災害補償義務の責任保険としての性格だけでなく、広く社会保障法上の社会保険としての性格をも有しており、その補償責任は単なる損害填補にとどまらず災害を受けた労働者やその遺族の生活保障にも向けられているというべきである。

(二) 労働者性の有無は、表面的な契約見解にとらわれることなく実態から見て使用者との間で一定の使用従属関係が存在していれば足り、以下の(1)ないし(4)の事情から、成治は清野工業の労働者というべきである。

(1) 成治は清野工業の指揮監督の下で働いていた。

<1> 成治ら柳生戸部落住民は、その日常の経済生活においてまるごと清野工業に従属しており、同社からの仕事依頼や業務従事の指示等に対する諾否の自由はなかった。

<2> 成治らは、作業の内容や遂行方法等につき清野工業の指揮命令を受けていた。

イ 一般に、使用者の指揮命令は具体的なものでなければならないとされている。

しかしながら、山林労働は、労働集約性が高く、就労時間・場所も季節的、場所的に制約され、かつ、作業を進めるに際して作業者相互間の人的つながりが重視されるという特色がある。そして、その結果、一定の人的つながりを有するグループ単位で雇用され、かつ一定の作業単位(伐採、集材など)で集団的に従事するという作業形態をとるもので、個別雇用・個別管理を原則とする近代的工場労働とは著しく異なっている。労働内容も自然の地形、森林相、気候を相手とするため、それを熟知している地元出身者の勘とチームワークが大きなウェートを占めることとなり、必然的に就業場所(伐採場所)の選定や個別具体的な指揮監督は現場労働者の意向が強く影響することとなる。

したがって、使用者としては、就業場所の最終決定権は留保するものの、その決定過程では現場労働者の意向を十分くみとらざるをえず、また作業に対する指揮監督ももっぱら商品(伐木)の品質保持や作業の安全保持を目的とし、かつ、それは労働者個別ではなく労働者集団全体に向けられたもので足り、個別労働者に対する日常的な指揮監督は当該集団内の規律に委ねられるものと考えるべきである。

ロ 本件伐木作業の場合、成治らは清野工業の指示で隣部落の人から作業手順の指導を受けたし、作業中に清野工業の代表者が一週間に二、三回の割合で見回りに来て作業の安全確保や木の切り方などにつき現場で指示していた。

ハ 成治ら作業員の出勤状況は毎日帳簿(出面帳)に記録し、一定した出勤時刻や昼休み時間が守られ、作業の進め方も作業員の適性を考慮しながら適宜作業部門(伐木作業、集材機械の操作、玉切り作業など)を交代しながら行っていたのであり、十分規律ある労働がなされていた。

(2) 成治の受けた報酬は労働の対価であった。

<1> 成治らが清野工業から受けた報酬は、一棚あたりいくらという形で一括して決められていた。伐木自体の価格は微々たるものであり、大半は成治らの労働の対価として支払われていた。特に途中から成治らのグループに入った訴外貝沼定男は、他部落の者であるため立木の所有権がなくその受け取った報酬は労働の対価以外にはありえない。

<2> 支払方法は、年三ないし五回に分けて支払われたが、その配分は原則平等としながら最終的には出勤簿に記録されている出勤日数にしたがって差をつけていた。

<3> 被告は、清野工業からの支払いは売買代金であると主張するが、支払金額は一切清野工業の言い値で決まっていたのであり、値上げ要求が入れられたことはなく、通常の売買ではありえない。

仮りに売買であるとすれば、その代金は山林の共有持分に応じて分配されるべきであるのに、実際は労働の内容・時間に応じて配分されており、売買代金ではなく出来高払い賃金というべきである。

(3) 成治が使用していた機械類についても、チェーンソーは成治らの所有であったが、本件伐木作業のために購入したものではなく日常生活に必要なため個人的に所有していたものをたまたま使用していたに過ぎず、中心的な機械である集材機は昭和五五年まで清野工業から借用し、機械の修理の部品も清野工業から面倒をみてもらっていた。

(4) 訴外鈴木善栄、同鈴木友栄らが清野工業と明示的に雇用契約を結んだとされる昭和五五年以降、同人らの仕事内容はその作業実態、賃金の支払方法・配分の仕方、会社の監督状況のいずれをとっても成治らと一緒に働いていた当時と同じであるが、同訴外人らの労働者性が認められ、労災給付が実施されている以上、成治も労働者と認め、同様の扱いをすべきである。

(二) 被告の主張

(1) 労災保険法にいう労働者は、労基法の規定する労働者と同一に解すべきであり、使用者との使用従属関係の下に労務を提供し、その対価として使用者から賃金を得る者をいう。

(2) この使用従属関係の有無は、使用者とされる者と労働者とされる者との契約関係あるいは指揮監督関係の有無、時間的場所的拘束の有無・程度、業務用機材の負担関係、報酬の性格、公租など公的負担の関係その他諸般の事情を総合的にみて判断されるべきところ、成治は清野工業と使用従属関係下に労務を提供し、その対価として賃金を得ていたということができない。

成治ら柳生戸部落住民は、主体的かつ自主的に部落の共有林の伐採作業を行い、伐採した木材を清野工業にチップ材として売却していたものである。

第三争点に対する判断

一  労働者の意義

労災保険法において、保険給付の対象となる労働者の定義に関する規定はないが、同法が労基法の規定する使用者の労災補償責任を保険化したものであることから、労基法の規定する労働者と同一に解するのが相当である。

労基法九条は、労働者を職業の種類を問わず、同法八条の事業又は事務所に使用される者で、賃金を支払われる者を労働者と定義している。これは、要するに使用者との使用従属関係の下に労務を提供し、その対価として使用者から賃金を得る者を指すものと解すべきである。

二  労働者性の判断

1  成治が労災保険法の適用を受ける労働者に該当するか否かを検討する。

証拠(<証拠略>)によれば、以下の(一)ないし(五)の各事実が認められる。

(一) 柳生戸部落の変遷

(1) 成治らが生活していた朝日村柳生戸部落は、戸数十数戸で、朝日村役場から約二〇キロ山間に入った山形県境近くに位置し、交通の便が悪く、厳しい自然環境の下で自給自足的生活をする高度孤立部落であった。同部落は、昭和四五年から過疎化が進み、昭和五六年には戸数七、人口二三人となり、山を下り朝日村大字古渡路に集団移転した。

(2) 柳生戸部落では、夏に炭焼きをし、炭を清野商店(清野恭一の個人商店)に売り、同商店から食料品や雑貨類を購入していた。同部落の貴重な収入源であった炭焼きの需要が少なくなり、これに代わって昭和四四年からチップ材用原木の伐採作業が清野商店の世話で始まった。

清野商店は、昭和四五年、会社組織となって清野工業となり、清野恭一がその代表取締役となり、成治らは部落の共有林を伐採してチップ材を清野工業に納めていた。

(二) 伐採作業の実態

(1) 柳生戸部落の共有林伐採作業は、原木の伐採、集材機などによる集運、玉切りの各作業を五ないし八名の者で行なっていたが、同作業に従事する者は、同部落の住民(ただし、昭和五五年から他部落の貝沼定男が参加)だけであった。そして、玉切りされたチップ材は清野工業によってトラックで運ばれた。

成治は、昭和四四年頃から昭和五三年頃まで同部落の共有林伐採作業に従事し、チェーンソーを使用して原木の伐採、玉切りをしていた。

なお、成治らは、柳生戸部落の共有林以外の伐採作業をしていたことはなかった。

(2) 同部落の伐採作業は、毎年六月頃から一〇月頃までの間行われていた。初めに同部落の伐採作業に参加する住民らが集まり、その年の伐採地域などを決定し、代表者(リーダー)を選び、代表者が伐採作業に従事した者の出面帳を管理し、清野工業から支払われる金銭の受け取り、右金銭の分配などをし、共同作業の世話役、取りまとめ役となった。

(3) 伐採作業は、成治ら作業に従事する部落住民が午前八時頃集まって、伐木作業、集材機械の操作、玉切り作業など分担を決め、共同して作業を行い、作業に従事した者を出面帳に記入していた。なお、同作業に従事する者の間に不公平がないように作業分担は適宜交代していた。

(4) 清野工業の代表者やその従業員は、伐採作業現場において伐採作業についての具体的な指揮や監督をすることなく、棚(玉切りされた伐木の束)となったチップ材をトラックで運んでいった。なお、清野工業の代表者が同部落に行った際、伐採作業に従事していた者に対して怪我をしないように注意したことはあったが、伐採作業をどのようにすべきかを具体的に指示したことはなく、これをもって安全確保の指示があったいうことはできない。

(三) 清野工業との契約

(1) 成治が柳生戸部落の共有林の伐採作業に従事していた昭和五三年以前において、同部落の住民と清野工業との間で雇用契約書を取り交わしたりしたことはなく、清野工業は同部落の伐採作業に従事する住民を自社の労働者として賃金台帳その他の帳簿に記載したり、源泉徴収をしたこともなかった。

(2) 同様に清野工業と柳生戸部落の住民との間で同部落の共有山林の伐採の請負契約書を取り交わしたことはなく、同部落の共有林のどの地域を伐採するのか、どれ位の量のチップ材を出すのかは、同部落住民で決定していた。また、清野工業は、同部落から当該年度の伐採予定地域の立木をいくらで買い受けるかを決めていなかった。

(四) 作業の資材等の負担

柳生戸部落の住民が伐採作業を始めた昭和四四年、同部落で集材機、ワイヤー、キャリング、滑車などを購入し、チェーンソーは作業員各自の所有物を使用していた。清野工業から集材機を借りて伐採作業をしたこともあったが、ワイヤー、油などの消耗品はすべて同作業従事者の負担であり、同集材機もその後清野工業から同部落へ売却された。

(五) 清野工業の支払金

柳生戸部落の伐採作業に従事する者全員と清野工業の代表者は、毎年の作業を開始する前に、当該年のチップ材の棚の単価、引き渡す予定の総棚数などを話し合って決めていた。

清野工業からの支払金は、年三ないし四回に分けて伐採作業従事者の代表者に交付された。清野工業は、その年度の最終支払時において、清野工業に引き渡された棚数にその単価を乗じて得た金額から前払金など既に分割して支払われた金額と作業に使った機材、用具の立替金などを清算控除して同代表者に一括して支払った。

同代表者は、受け取った金員の一部を部落共有林の代金(山代金)として同共有者らに分配して支払い、その余については、最終支払時以外において作業従事者全員に平等に分配し、最終支払時において出面(出勤簿)に応じて各作業従事者に清算して分配した。

2  以上の事実によれば、成治ら柳生戸部落の住民は主体的かつ自主的に部落共有林の伐採作業を共同して行い、伐採した木材をチップ材として清野工業に売り渡し、その代金を部落住民らで分配していたものというべきであり、成治か清野工業に雇用されて伐採作業に従事したものではなく、成治ら同部落住民が清野工業から共有林の伐採と玉切りを請負ったものではないと認めるのが相当である。

したがって、成治は、柳生戸部落の共有林伐採作業に関して、清野工業の使用従属関係の下に労務を提供し、その対価として清野工業から賃金を得ていたものということができない。

3  訴外鈴木善栄、同鈴木友栄らが昭和五五年以降清野工業と明示的に雇用契約を結んだが、従前の作業と同じ内容、条件で伐採作業に従事して、同訴外人らは労災保険給付を受けていたとしても、前記のとおり成治に労働者性が認められない以上、成治に労災保険給付を支給することはできない。

また、訴外佐藤与一は、昭和五二年頃までに、成治と一緒に柳生戸部落の共有林伐採作業に従事中負傷し、労災給付を受けていたことが認められる(<証拠・人証略>)が、この事実があったからといって、前記1、2のとおりの事実から同伐採作業につき成治の労働者性を認めることはできない(仮に、成治と全く同じ立場であったとすれば、労災保険の適用されたこと自体が問題であった。)。

以上の次第により、成治の労働者性は認められない。

(裁判長裁判官 吉崎直彌 裁判官 駒谷孝雄 裁判官 片山隆夫)

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